ア ル フ ァ コ イ ル を 発 明 す る ま で |
私は大正十三年、仙台で生まれました。それはちょうど父が東北大学の医学部を出て、医学博士の学位を取得するころでした。 私は機械いじりが好きで、電気の模型モータなどを買ってもらい、模型の電気機関車などを組み立てて楽しんでいました。普通の小学生は、ベーゴマ、ビー玉、メンコなどで遊んだり、「とんぼつり、きょうはどこまで行ったやら」などと、野山に出て自然と楽しむのが常でしたが、私はほとんどそうした遊びはせず、もっぱら科学的な遊びを楽しんでいたものです。
中学三年生のとき、肺門淋巴腺腫という、肺結核の幼稚園児のような病気でー年半ほど休学することになり、病気がよくなった後も私は横須賀の自宅でブラブラしていました。
そんななか、ときに1941年12月8日、日本は世界を相手に大東亜戦争に突入していきました
私は愛国者になりました。私は自分のことよりも日本という国を愛しました。光輝ある歴史をもった日本、いままでー度も外国に侵されたことのない日本が、全世界を相手に戦争を始めたのです。
現在の戦争は科学兵器の質と量とで勝敗が決まるといわれています。
しかし、当時の日本の指導者たちは、日本人は精神力がすぐれているから必ず勝つ、日本は神国だから、神風が吹く、などといっていました。
こうした指導者の考えには反対でしたが、日本を勝たせるために、私も全力を尽くそうと決心していました。
できることなら、私は常々発明家にならうと思っていたので、日本のために新兵器を発明しようと考えたのです。
そのためにはよい大学にはいらなければなりません。大学の研究室で新兵器を発明してやろう、そのためにはまず良い学校にはいらなければならない、と思ったのです。
それから私は予定を立て、死にものぐるいで勉強しました。あとから考えても、私のこのときの努力こそ、一生のうちで最大の努力であったと思います。
昔、新井白石は眠くなると、自分のももに錐を刺して眠けをきまして勉強したといわれています。
私の当時いた寄宿舎は不潔だったので私にはインキンができていましたが、そこにキンカンというアルコール分のたくさんある薬をつけると、とび上がるほどしみるので、私は眠くなるとそれをつけて眠けをさまし、勉強しました。 このようにして平均睡眠時間三時間ぐらいの日が、一週間も続くと、一週間目にはどんなにキンカンをつけてもだめで、グダーッとー日寝てしまいます。
が、それで元気を回復すると、またつぎのー週間はがんばりました。
このような努力をしたかいあってか、受験者が入学者の十数倍あるという官立の高等学校に、
優秀な成績で合格することができました。 そして、1945年、あこがれの東大生になったものの、しかし戦況は悪化してゆき、新兵器を発明して日本を勝たせたいという私の希望もほとんど実現の見込みはなくなっていました。
神風は吹かず、ついに日本は敗れました。日本に新兵器はできず、アメリカに(原子爆弾が)できたのです私の人生の目的はかくして失われてしまいました。
人生の目的を失った私は学生ヤミ屋になり、紅灯の巷をさまよい歩きました。そして胸を病み、病床に伏しました。病床で私は、「神よ、人生の目的を与え給え、しからずんば死を与え給え」と祈っていました。
しかし神風は吹かず、日本は敗れたのに、神はあるのだろうか…・ 科学が好きで、科学者になろうと思っていた私も、神はあるのではないかと、ぼくぜんとながら思っていたのです。
秋十月、桐一葉が落つるとともに、はかなくも青年の命はこの世を去るかにみえました。しかし、祝福すべき1945年8月3日、私の枕もとに、一冊のりっぱな本が置かれていたのです。
『生命の実相』と金文字が入った聖書のような本でした。
これを読み、私は新しい人生の目的を見い出すことができました。
「人間は神の子である」「神の如くいきるのが人生の目的である」「人生は思うとおりになる「病気は無い」「物質は無い」
その本にはこの様な言葉が書かれていたのですが、これは、従来の唯物論的哲学とは正反対の考え方といえましょう。しかし、そのときの私はこれを信じる以外に救われる道はないと思ったのです。
従来の自分は利己主義者でした。そして、私はちっとも幸福ではなかったのです。物質的にはほとんど何一つ不自由しない環境に育った私でしたが、しかし、幸福感は味わったことはありませんでした。
『生命の実相』の中には、何一つ不自由でない、しかし、ちっとも幸福でない王子様が、幸福になる方法が書かれていました。
諸君はこういうお伽話を聞いたことがあるだろう。ある富んだ国にー人の賢い王子様がいた。この王子様はしたいことはなんでもすることができた。しかるにちっとも幸福でなかった。
王子様の顔にはいつも不満足さがあらわれていた。
王様は、或日王子様を呼んで、 「お前は、したいことはなんでもできるのに、なぜつまらなそうな顔をしているのかね、何か秘密の悩みでもあるのかね?」とやさしく問われるのであった。
王子は答えて、「私にしようと思ってできないことはありませんから、別に秘密な悩みなどあるわけはございません。でも私は人生に輝くような喜びを感じる事はできないのです。
どうしてそうなのか、自分にもわかりません」と答えた。
そこで王様は、国中に布令を出して、王子を幸福にしてくれたものには、ほうびの金は望み次第であるといって、王子の幸福生活法を募集されたのであった。
或日一人の魔法使いが、王様のところにやって来た。
「王子様を幸福にしてさし上げる事のできるのは私です」
そうか、もし、そちらが王子を幸福にしてくれるのならば、ほうびの金は望み次第だぞ。しかし、その方は必ず王子を幸福にしてくれるであろうな」
魔法使いは、王様の許しを得て、王子を別室に伴い、一枚の白い紙きれを渡した。
「王子様、あなたはー人になって、部屋を暗くし、ろうそくの火でこの紙をあぶってごらんなさい。そぅすると、ここに文字が現れれます。この文字に書かれた事を実行なさると、あなたはその日から幸福になれます」というと、魔法使いは消えてしまった。
王子の手には、明るい所では見えない白い秘密の文字の書かれた1枚の紙片が残っているだけであった。
王子は魔法使いがいったように、部屋を暗くしてろうそくをつけて、その火であぶってみた。そぅすると・白い文字は青く変わつて・つぎの様に現れた。
「毎日一度は人に親切をせよ」
ああこれだ!これこそ幸福生活の秘密であったのだ。幸福というものは、追い求めている間は、月の影が水面に映つているのを追いかけてゆく子供の様に、
何時までもそれを得る事はできないのだ。
ひるがえって、求めず、人に与え様とすると、その喜びが何十倍にも増幅されて返ってくる。このようにして人に与えた喜びが与え返されるとき、人の幸福はもはや減ることのない無限に湧き出てくるものとなるのだ。
王子はこれを実行して、この日から幸福になったのである。
私はこの本を読んで、その日から幸福になったことを感じました。いままでの私は、自分の利益のために勉強し、生活していましたが、それは利己主義の生活であって、そこにはちっとも幸福感はなかったのです。
けれども、人生観が変わってゆくにつれ、私の世界を見る目も徐々に変わっていきました。
見よ、空は青いではないか、雲は白いではないか。昔からそうだったのでしょうが、心が変わると世界が変わって見えるのです。
私の病気は悟りとともに消えていきました。
あたりまえでしょう。なぜなら私の病気はすべて心の悩みから生じたものだったからです。 猫を見ても、昔の自分ならばけとぼすのに、
「おお猫よ、お前も生きていたのか、私も生きていたよ」
と抱きあげて頬ずりをしたりすることもありました。 そして不思議なことに、心がうきうきしてくると、未来のことがわかったりするのです。
ついているときに、ふと口をついて出る言葉が未来の予言になっていることがありますが、それと同じでしよう。
「きょう、だれだれが来るよ」というような言葉が朝、口をついて出ると、ほんとうにその人が来ます。 又、横須賀に住んでいる私の所に売りにきた部品を朝買っておくと、その日の晩には十倍もの値段で別の人がその部品を買いにくる、というふうに。
そうして私は労せずしてお金を手に入れることができました。 あるいは、夜、紙と鉛筆を枕もとに用意して寝ると、夜中に目が覚めて、発明のヒントが浮かんできます。それを紙に書いておくと、毎日一つずつなにかしら発明できるのです。
そこでこれを売り出す会社をつくろうと思って、神様に「百万円くらい資本を与え給え」と祈っていると、叔父が、「三百万円ぐらい出してやろう」といってきます。まさにこの世は心で思うとおりになりました。これを円滑現象と言うのでしょうか?
さて、病気も治ったからには、いつまでも遊んではいられません。
そこで、私は東大の電気工学科の学生として再び大学に戻り、学友や教授たちに「神の福音」を説きはじめました。
「神様はあるよ。人間は思うとおりになるんだよ・・・」 当然、唯物論者の集合である学友や教授たちからは猛反対を受けました。
「彼は病気をしてからクルクルパーになった・・・・。かわいそうに」
「そうかな、私がつかんだのは、おぼれる者わらをもつかむで、わらだったかな!・・・・」と、
私はせっかくの「悟り」を疑いはじめました。そうすると、いままで何でも祈ればすぐ効果があり、思うとおりになっていたのが、だめになってしまい、することなすこと失敗ばかりというようになってしまったのです。
私はまず、なによりも科学を愛していました。
科学的でありたい、しかし、自分のいままでの行動は科学的ではありませんでした。
「信じた」のだから科学とはまったく正反対の生き方といえましょう。
科学は、デカルトのいう、何でも「疑え」ということから出発しているものです。
「信ずる」ということは科学的態度ではないのです。しかし、「信ずる」ことによって私は心に明るさと希望を得、その結果病気も治った。また、テレパシー能力も出たのです。
過程はどうであっても病気が治ったということは、科学的事実ではないか・・・・。
私は「科学と宗教」とのはざまでおおいに悩みました。
悩んでいる間、もちろん人生は暗く、何をやってもうまくいきませんでした。
それからの私は日曜ごとに、生長の家の本部の集会に行きました。毎日曜、教祖の谷口雅春先生のお話があり、信者たちがありがたがってお話を聞いています。
彼らは幸福そうでした。信ずるものがあるがゆえに幸福そうな彼らを見て、「信じうるものは幸福だな・・・・」と思いました。しかし、ー方で、「あいつらはばかなんだ。単細胞なんだ・・・・」という思いもありました。
つまり、自分は利口かもしれないが、ちっとも幸福でなかったのです。
再び幸福になるためには悟ったときのように「信じ」なければならないのです。しかし証明されていないものを信ずるということは、「科学的態度」に反するのではないか?
信じたものがインチキだったら? 明らかに科学者としての資格を失うことになる。しかし、
明らかに自分の病気が治り、テレパシーの体験もした。これは「科学的事実」ではないのか?
信ずるとしても、それは私一人ではない。すでに信じているたくさんの信者がいるではないか……。もしインチキならば、科学者としての資格を失ってもいい。インチキ宗教であって、教祖が警察に引っぱられるならば、俺も一緒に行けばいいじゃないか。
一旦は信じる事によって救われた自分だ。よし、東大出だというようなレッテルも何もいらない。
ばかになって、すべてを捨てて、信じよう。
こう思って、ただーつ信仰のパラシュートをもって、世俗的名誉の断崖絶壁から、断固、飛び降りました。
そして私は神の大愛のふところにいだかれている自分を発見したのです。
その結果、わかったことは、従来の科学と矛盾するように見えることはすべて、従来の科学のほうが未発達なのだ、ということでした。
科学のほうが未発達なのであって、奇蹟は存在するのです。それを説明できない科学のほうが遅れているのです。
しかし、世には遅れている科学のほうを金科玉条として、事実起きている奇蹟のほうを否定する人がなんと多いことか・・・・
科学と宗教の間の橋渡しをしなければならない、とかたく決心したのはこのときでした。 私は病気中に宗教の本『生命の実相』をー生懸命に読むことによって悟りを開いたとき、世界は美しく見え、霊感が出、発明もどんどんできました。そして発明品を事業化しようと神様に「資本金百万円をお与えください」と祈ると、前述のように叔父が三百万円くらい出してやろう、といってくれました。そこで私はまだ大学生でありながら、会社をつくり、事業を始めたのです。
しかし、東大の学内は唯物論の巣です。「神様はありがたい」などというと、「頭がクルクルパーになった」といわれ、私の信念はゆらぎ、くずれました。疑いの心をもったとき、
いままで円滑現象ですることなすことうまくいっていたのが、今度は逆にすることなすこと失敗ばかりということになってしまったのです。
1947年ごろ、日本の電力はほとんど水力発電に依存していましたが、雨がぜんぜん降らないために、電力不足で毎日のように停電になりました。
そこで、軍の払い下げ物資の蓄電池を利用した停電灯をつくって売り出したところ、最初は当たって、よく売れました。
発明家的才能がある私のつくった停電灯は、回路的にくふうがしてあり、非常に安くできたので、おおいにもうかりました。
それでいい気になり、大量の蓄電池を買い込んだところで、急に雨が降りだし、ダムに水がいっぱいになって、停電もなくなり、もはや停電灯の需要はなくなってしまったのです。
おまけに、買い込んだ蓄電池は不良品でまったく使いものにならず、莫大な損害をこうむりました。 やはり疑ってはだめだと思い、私はこのとき神に祈れば奇蹟が起こるかもしれないと思って、一生懸命祈りましたが、奇蹟は起こりませんでした。
不良蓄電池の山は、そのまま、何の利用価値もなく、捨てねばなりませんでした。資本を出してくれた叔父に莫大な損害をかけてしまったのです。
私は、叔父に損害をかけたまま、事業をやめて、東大を卒業するや、生長の家の飛田給にある錬成道場に入りました。すなわち東大電気工学科を卒業した私は「宗教家」になったのです。
飛田給の生長の家錬成道場に数年間いて、私は、10日間の錬成を受けるだけで錬成会員の病気がどんどん奇蹟的に治っていくさまを観察しました。
そして、私は念力によって電子の運動が支配できる実験器をつくり、超心理学実験器と名づけ、この実験結果を「確率的現象の個々の決定に対する精神の影響」という論文名で1950年電気学会で発表しました。
もちろん、さんざんにたたかれたのはいうまでもありません。 また、生長の家の教祖の谷口雅春先生の講演旅行に随行し全国を回り、谷口雅春先生の講演の合い間に生長の家の教義である物質無を科学的に説くとともに、マイク係をも兼ね、谷口雅春先生にはたいへんかわいがられました。 そして、宗教放送局をつくろうという運動をしましたがこれは失敗、かわりに、谷口雅春先生の講演テープを売る事業を始めましたが、これは大成功で現在も(世界聖典普及協会)で続いています。
数年後、私は飛田給を出て、富士電工株式会社に入り、祈りから生まれたサイリスタを応用してネオンサインの色を徐々に変える方法(商品名オーロライン)、蛍光灯の明るさを変える方法、電子式電光ニュース(商品名コンピュートサイン)、野球場のスコアボードなどについている巨大なTV「マンモスTV」などの発明をつぎつぎに行いました。こ れらの発明によって富士電工株式会社はちっぽけなネオン会社から、大会社にのし上がったのです。
私も発明により何回も表彰され、1982年には黄綬褒章をいただき、褒章クラブに名を連ねさせていただくことができました。
1963年『超心理学入門』という本を出し、続いて『四次元世界の神秘』『霊感術入門』『超物理学入門』などの本を出し、数百版を超えるベストセラーとなりました。このころから「四次元」という言葉もかなりー般化しました。そして、1973年、私は日本超科学会をつくり、また、翌年には日本サイ科学会も発足しました。
サボテンに嘘発見器をつなぎ、火をつけようと思っただけで、嘘発見器の針が飛び上がったことがありました。このことからサボテンに歌を唄わす機械を発明、四次元波受信器と名づけ、何回もTVに出演して実演しました。
そして、ついに1982年、私はアルフフコイルを発明しました。アルファコイルはアルファ波発生装置として発明されたものですが、これを使用すると、心が落ち着き、インスピレーションが受信でき、円滑現象といって人生がうまくゆき、運がよくなる、頭がよくなる、という驚くべき効果があることがわかりました。
したがって、仕事がうまくゆき、成功するので富をも得られます。
もし、世界中の人がこれを使ったなら、世界中の人がすべて健康になり、豊かになり、幸福になり、世界がいっぺんに平和になるでしょう。 これは人類史上最大の発明といってよいのではないでしょうか?
座禅、瞑想、神想観、こういった宗教的行為を科学的教育を受けたはずの現代人が好んで行うのは、なぜでしようか?
彼らは「悟り」を求めているのです。しかし、達磨大師は面壁九年、九年も座ったままだったので手足が腐って達磨型になってしまったといわれますが、それでも悟れなかったといいます。
ましてや凡人たちがわずかの時間座禅したとて悟れるはずがありません。
しかし東大の平井教授らは、高僧が座禅中悟りの境地に入った時の脳波を観察していると、アルファ波と呼ばれる8~14ヘルツの波が観察されることを発見したのです。
これをアルファ状態といいます。
そこでアルファ波が出ているかどうか知りながら座禅をすると、鏡を見ながらお化粧をするようなもので、鏡のないときに比べて無駄なことをすることがなく、はるかに短い時間で自分の心をよい状態に保ち、座禅などの能率を高めることがわかったのです。
これをバイオフィードバツクといいますが、脳波バイオフィードバック装置は先に開発され、アルファトーンと名づけられて、すでに「橋本電子研究所」より販売されていました。
アルファトーンは脳波がアルファ波になったとき、イヤホンからピョビョという音が出て、いまの精神状態がOKであることを教えてくれる装置です。
したがって瞑想する人はただこの音が持続するように訓練すればよいわけです。
このようにして、いままで何年座禅しても悟れなかったのは鏡なしでお化粧をしていたようなもので、アルファトーンという心の鏡が与えられたので、いままでよりもはるかに速くアルファ状態に入れるようになっていました。
しかし、外から
強制的にアルファ波を注入したらどうなるか
・・・ということを私は考えはじめたのです。
徳島大学では電気入眠器なるものが開発されていました。
これは頭の前と後に電極をつけ、眠りに入るときの脳波14ヘルツの電圧を与えるものですが、これを使うことによって、不眠症で1時間ぐらい寝つけなかった人が15分ぐらいで眠ってしまったと言います。
ですから、脳波と同じ周波数の電圧を外から注入することによって、その脳波が発生しているのと同じ状態にすることができると思われたのです。
それなら、アルファ波の周波数の電圧を脳に注入すればアルファ状態にすることができるはずです。
アルファコイルとは、円環状のコイルで、これにパルスを流し人体にあてたところ、特異な効果があったので報告します。
アルファコイルの大きさ・・・・アルファコイルの大きさは直径20cm~60センチ
パルスの周波数は8ヘルツ
このアルファコイルを枕の下に置き、入眠後約2時間して30分アルファコイルに通電してみました。
その結果起きた現象は次のとおりです。
1、はっきりした夢を見る。
2、午前3時ごろ目が覚める。
3、アイデアやヒントがたくさん浮かんでくる。
4、発明や原稿書きがどんどんできる。
考察 1~4の効果については新しい発見だと思われます。
これは、アルファ波が脳内に発生し、精神がアルファ状態となり、潜在意識が高次元と直結するためにあらわれる効果ではないかと思われますが、なおより多くの人の実験が望まれるところです。
最初は直径60センチもあるカラーテレビの消磁用コイル、デガウスコイルを使い、これにパルス発生器を自作したものをつなぎ、もっぱら自分を実験台にして使ってみました。
すると次のような効果があらわれました。
奇跡を起こす”アルファコイル” |
メールは info-cstmr@alphacoil.jp へ